花は黙って咲き、黙って散って行く。自分の生き方や在り方を考えたい。
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今年も蓮の花が咲いている
今週もお茶のお稽古に向う道のり、蓮の花がきれいに咲いていました。
梅雨が終わって夏本番を迎えようとするこの季節に咲く蓮の花も、一年に一度の出会いです。
お茶の世界では一年に一度しか出会わないものが数多くあります。
一年に一度しか使われない茶碗、一年に一度しか使われない棚。
季節感を大切にしているからこそですが、野に咲く花も、一年に一度しか咲かないものがほとんどです。
なぜ花は美しいのか
花は美しいですね。
誰から命令されるわけでもなく、誰から頼まれる訳でもなく、黙って咲き、黙って散って行く。
誰かから、キレイだとか、好きだとか、評価されても、されなくても、ずっとそれを繰り返して行く。
そこには、その花の生命のあり方そのものが現れているように感じられます。
言い換えると、花というあり方そのものが美しく感じられるのです。
自分の生き方や在り方を問われる
花を目の前にすると、自分の生き方や在り方を問われるような気がします。
何を手に入れたか? 何を達成したか? どこまで行けたか? どのような評価を得られたか?
こういったことはとても大切なことです。
しかし、それらよりももっと大切なことを、往々にして見失いがちです。
自分とはどういう人間か?
生きているうえで大切にしている価値観は何か?
どう在りたいのか?
美しく咲く花は、力強く張り巡らされた根っこの上に成り立っていることを、忘れたくないものです。
「花語らず」という詩
「花語らず」という詩を目にされたことはあるでしょうか?
京都・南禅寺の管長でいらした、柴山全慶老師の詩です。
花は黙って咲き
黙って散って行く
そうしてふたたび枝に帰らない
けれども
その一時一処に
この世のすべてを托している
一輪の花の声であり
一輪の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔なくそこに輝いている
プロフィール