相手と心を合わせること。それがコミュニケーションの鍵。
お茶会で大先生から教わったこと
お茶を習い始めてすぐのこと、お茶会に参加する機会がありました。
お稽古にもまだ数回しか通ったことがなく、お茶のいただき方をはじめとしてお茶会での振る舞いについては何も知らない状態でした。
ドキドキとワクワクが入り混じったような気持ちで参加していましたが、あるお茶席で、小間と呼ばれる小さなお茶席に入れる機会がありました。
そこはとても特別な場所であったので、初心者の自分が入っていいものかとためらいました。
するとその姿を見ていた私の先生が、ひと言アドバイスをくれました。
「亭主と心を合わせて来なさい。それだけで大丈夫。」
そして、大先生(お茶歴半世紀以上の私の先生)のそのアドバイス通りにしました。
席に入って、ご亭主がお点前をなさっている間、ずっと心を合わせている気持ちで座っていました。
すると亭主の方もこちらに心を合わせようとしてくれていることを無意識に感じました。
また、席を共にしている相客にも心を合わせてみたところ、その場にいる全員がつながっているような、とても温かく不思議な感覚を得ました。
細かな作法に対する不安が一切なくなり、身体にも心にも、大変美味しいお茶を味わえたのです。
アメリカのビジネススクールでも同じこと
私がビジネススクールに通っていた頃、学校の中で、ある一つのルールがありました。
それはMBAの学生たちに求めるもので、授業中はノートパソコンを必ず閉じておくようにということでした。
学生たちの中には、ノートを手書きでなくて、コンピューターに直接打ち込みたいという声があり、反発が数多くありました。
そのやり方は前時代的過ぎるし、まったく合理的でない!と。
しかし、学校側の言い分としては、ノートパソコンが開いた状態だと、教授側から見て、その学生が何をやっているのかが分からなくなるリスクがあるということ。
学校の目的は、学生たちの学習と成長。
その目的を果たすためには、学生本人たちと教授とが一体となり、協力し合って取り組むことが必要です。
だから学生と教授との間に、ノートパソコンという壁を設けるのではなく、お互いがよく見える状態にすることで、議論を活発にしたいという考え方です。
これもある意味、学生と教授とでお互いに心を合わせることによって、共に学習と成長という目的を果たそうとしていることだと、私は考えました。
全員がノートパソコンを閉じた状態で行われる授業は、教授の素晴らしいファシリテーションのおかげもあり、学生たちが目をキラキラさせながら活発に議論を戦わせ、最高に楽しい学びの場となりました。
職場でのコミュニケーションでも心を合わせる
あなたは職場において誰かと話をする際、その人とあなたとの間に何か物を置いていることはありますか?
分かりやすい例が、ノートパソコンや、モニター類です。
相手との間に物が置かれていなかったとしても、あなたの身体はその相手に対して正対しているでしょうか?
身体はコンピューターの方を向いたまま、顔だけをその人の方に向けているなんていうことはないでしょうか?
それでは相手にとって、あなたと一緒に話をしているとは感じられないでしょう。
あなたと相手の間にあるものは脇によけ、おへそから相手に向かって正対し、相手に心を合わせる気持ちで話をしてみてください。
いろんなことを伝え合うことができるようになります。