決断力はどのように身につくのか?経営実務を通じて学んだ意思決定のいろいろ
こんにちは、西原哲夫です。
昔20代の頃、仕事で重要なコンペを目の前にして、「いくらの価格で設定するのか?」「どのような内容で提案をするのか?」と悩みに悩んだ挙句、
「決断できない。。。」と落ち込むことがよくありました。
その後アメリカのMBAを目指した理由のひとつも、「アメリカのMBAで勉強をすれば、きっと決断力が身につくだろう!」と期待したことがありました。
確かにアメリカのMBAで意思決定について学ぶこともあったのですが、それは統計学の授業の中で、「確率」や「期待値」などの考え方に触れるまで。
最終的にどう判断し、腹をくくって決断をするかといったことは、やはり実務を通じて学ぶしか方法はないことが分かりました。
決断とはボート漕ぎの要領で漕ぎ続けることが大事
決断や意思決定というと、みなさんそれぞれのスタイルがあると思いますが、私が友人から学んだ表現で膝を打ったものがあります。
それは、
「決断や意思決定とは、“ボート漕ぎ”である。」というものです。
どういうことかというと、ボート漕ぎはオールをひたすら連続して動かし続けることで前に進んでいきます。
その時に必要なのが、量と質。
1回漕いだだけでは前進が止まってしまいますので、漕ぎ続けなければいけません。
また、オールの動かし方も、ボートが前進しやすい角度にしてあげる必要があります。
しかしこれも、最初から完璧な角度など分かるものではなく、何度も何度も漕いでいるうちに、感覚的にその角度が分かってくるものだと思います。
ビジネスにおける決断や意思決定も、最初から最高の決断なんて狙ってできるものではありません。
むしろボート漕ぎのように何度も何度も決断をし続けることで、前進を続けられるし、質も上がり、自分に合ったスタイルも身につけていくことができるようになるというわけです。
「正しい選択肢」や「最高の決断」という虚像
メディアなどを見ていると、いわゆる“すごい経営者”はどんな複雑な課題でも鋭い切り口でスパッと決断し、チームを成功に導いていくかのような錯覚を得ることがあります。
あたかも、数ある中から「正しい選択肢」を見極め、「最高の決断」をしているかのように。
しかし自分で経営実務を行い、意思決定の経験を積み重ねていくにつれ、そのようなものは虚像であるということが分かりました。
なぜなら、決断において、正解も不正解も無いからです。
当たり前ですが、正解が分かっていれば誰も苦労をしません。
どちらも正解のような選択肢が目の前に複数あり、どれかひとつしか選べないような状況に陥るので、悩むのです。
そのような時、チームの中でA案を支持するグループとB案を支持するグループとに分かれて対立が生まれているなんてこともあります。
「さあ、テツさん、どっちを選ぶのですか!!」と迫られることもありました。
何かしらの意思決定をして前に進んでいくわけですが、常に一部から批判を受けながら決断をしていくことになります。
そのような状況でも、よく考えたらあとは腹をくくって、ひたすら決断し続けるしか無いのです。
ひとつひとつの決断が経験値になり、血肉になる
MBAを卒業してアメリカで働いていた際、決断や意思決定について当時のアメリカ人上司Dさんから学んだことがあります。
ある時私は、はじめて自分の部下を採用することになりました。
「これは責任重大だ!」と焦り、興奮したことを今でもよく覚えています。
HRチームの協力も得ながら、数多くの方たちと面接をさせていただき、最終的に一緒に働きたいと思える方が2〜3人に絞られました。
その中でも、Aさんという方がとくに輝いて見えます。
しかし、そこから先がどうにも決断できない。
「本当にAさんで良いのか?」「自分が何か見落としていることがあるかもしれない。」「経験の浅い自分が決断して良いのだろうか。」など、急に自信がなくなってきました。
悩んだ挙句に上司のDさんのところに相談に行くと、こう言われたのです。
「You have to make the decision. And, you also have to live with that decision.」
「あなたが決断しなさい。そして、その決断の結果とともに生きていきなさい。」
要するに、
「結果が良くても悪くても、自分で責任を取りなさい。」「そのつもりで意思決定をしなさい。」という、私に対するエールでした。
つまり、真剣に決断をするという経験を積ませてくれていたのです。
その時の採用結果は成功で、その後Aさんは大活躍をしてくれました。
逆に大失敗をしたこともあります。
経営者時代、ある重要なポジションが空席になり、さまざまな方と面接をさせていただいたのですが、どうもしっくりきません。
しかし半年以上も空席が続いていたので、各方面からプレッシャーがかかり続け、結果的に“一番マシな人”を選ぶという決断をしました。
ところがスキルもカルチャーもフィットせず、社内に混乱をもたらすような大失敗につながりました。
その時昔の上司Dさんの言葉が思い出され、すべて自分の責任のもと、各方面へ頭を下げつつ後始末に奔走しました。
影響が大きいことに対しては決断を中途半端に妥協してはいけないということを学びましたが、神様は自分にとんでもない経験をさせてくれたものだと振り返って思います。
決断をし続けると「見えない力」がついてくる
経営の仕事をしていると、朝から晩まで決断の連続になります。
自分の元にはいろんな部署・立場の方が来てくれて、次から次に相談が持ちかけられます。
「これはこっち。」「それはあっち。」と、どんどん決断をしていかなければいけません。
最初のうちは面食らったのですが、徐々に決断の先のビジョンが見えてきます。
これが直感というのか、経験の力というのか分かりませんが、「見えない力」として自分のことを助けてくれました。
決断の経験を積めば積むほど自分の中の判断軸が太くなっていくような感覚です。
ビジネスでもプライベートでも、自然体で課題に向き合いつつ、決断を続けていきたいと考えています。